褒めるということ


突然だが、皆さんは誰かに褒められたことがあるだろうか。



大半の人は、イエス、と首を縦に振るだろう。では、どんな場面で?



小さいときにテストで満点取った?中高生のときに、読書感想文で賞状をもらった?学生時代のアルバイトで、常連客のおばちゃんに接客を讃えられた?



褒められた思い出、というのは、いつまでも鮮明に残ってる。頑張りが認められるという、承認欲求が満たされる瞬間は、何歳になっても快いものではないだろうか。



だが、皆さんは誰かを褒めたことはあるだろうか。






主体と客体が入れ替わっただけなのに、こうなると、ほとんどの人間がありありと思い出すことができない。考えられる理由としては2つ。


1つ目は、褒めるという行為を無意識にしているから。そして、もう1つは実際に そんなに褒めてないから、である。




多分、後者じゃないかなーって思う。人間、意識しないと、他人を讃えるということがしにくい。しかも、意識するとお互い照れ臭くなってしまう。でも、褒めるってほんと大事だなって職業柄思うのです。




こういう仕事をしていると、どうしても叱る回数のほうが、褒める回数を上回ってしまう。いや、俺もしょーもないことで怒りたくないんだよ。ネクタイ上まで締めろ、ケータイ触るな、化粧落とせ、スカート折るな、switch学校持ってくんな等々……許されるなら校則を100回くらい写経させたい。



そこで、俺は褒めるときに質を高めるように心がけている。質を高める、というよりはべた褒め。やりすぎなくらい褒める。



過去に褒めたときに、生徒に怒られたことがある。ほんっとに普段からだらしない生徒で、先生からも目を付けられまくっていた現代の生きる化石、のような不良。とにかくじっとしてるのが苦手な子だった。


たまたま漢字の練習をさせる場面で黒板に書かせたのだが、画数が多く、分かりにくい字だったので、書けたことを褒めた。やるじゃん、流石、と。今までずっと喋ってたこと、さっきまでガムを噛んでいたこと、叱る点は数えきれないくらいあった。たまたま、褒めることが出来るチャンスを生かそうと思ったから、あえてそこにはその時触れなかった。



だが、彼はぶっきらぼうに「バカにすんな、これくらい書けるわボケ」と暴言を吐き捨てて席に戻っていった。



ちょっと俺はその瞬間落ち込みかけた。が、声こそ無精だったが、彼がすれ違いざまに目を和ませたのを俺は見逃さなかった。本当は嬉しかったのだ。




つい最近の話だと、追試をいつも数教科とる子が、今回は1.2個で済んでると本人の口から聞いた。これが、もし冷めてる大人なら「一個も取らないのが普通」と軽くあしらうだろう。でも、俺たち教師は結果よりも過程を大切にしてやらなければならない。だから、めちゃくちゃ褒めた。4月からもその調子で頑張れ、応援してるから、と、ありったけのプラスの言葉を投げ掛けた。




ヤンキーだろうが地味眼鏡くんだろうが、怒られて嫌な気持ちになっても、褒められて嫌な気持ちになることは少ないと思う。人間誰もがそうだ。あまりにレベルが低いことで褒められたら嫌味に聞こえるという意見もある。だが、俺個人的には、「生きてて偉いね!」と言われても十分嬉しい。



この「褒める」という行為自体は、教育という範疇を超えても共通することだと思う。もし職場で理不尽なことで叱られても、「わざわざ自分のために怒ってくれてすごい!」とか「会社の発展のためにクレームを入れてくれたんだ!この爺さんマジで神!」みたいなポジティブな発想で乗り切ってみてはどうだろうか。