規則を守る




巷で話題になっているピエール瀧の薬物乱用の件。コカインという薬物を乱用していたとのことで、昨晩逮捕された。どうしてそれが発覚したのか、だが、どうやらピエール氏の薬物乱用疑惑は結構前からあったようで、水面下で警察が動いていたらしい。

そもそもコカインとは?


米原産のコカという葉から抽出できる成分で出来た粉末である。コカの葉は、古代の南米では宗教的・儀式的理由で使われていたらしい。



儀式で使うにつれて、コカの葉には体に影響させる「何か」があるな、と薄々気づき始めた彼らは、娯楽として葉っぱを楽しむようになる。お茶に入れてみたり、鉱山発掘のためのスタミナ剤にしてみたり。


君のような勘のいいガキは嫌いだよ。そう、実はコカの葉には興奮作用、強い依存性があったのだ。現代ではその依存性の高さから、医療以外で用いてはならないことが、ほとんどの国で法律で定められている。



ちなみに、あの、コカ・コーラにも、本物のコカインが入っていた時代がある。今のコーラに入ってたら大問題になるので、その代わりに大量の糖分とカフェインがぶちこんであるわけだ。



乱用って何?


国語辞典を引くと、こう記述にある。


らん よう  【乱用・濫用】

( 名 )スル

みだりに用いること。 「職権を-する」

(三省堂 大辞林)


つまり、むやみやたらと使うことが「乱用」である。「薬物乱用」とは、薬物をむやみやたらに使うこと、すなわち、本来の目的を外れて薬物を使用することである。



薬物乱用については、他人事だと思っている人も結構いるらしいが、この問題はかなり身近で、かつ深刻な社会問題であるということを我々は再認識する必要がある。





なんで薬物乱用しちゃだめなの?







法律で決まっているから








ただそれだけである。それ以上でも以下でもない。依存性が強い、危険な薬物だから「乱用」させないようにしよう、という意思の現れとして、法律が出来た。そして、それを我々は守らなければならない。決められたルールを守る、というそれだけの話なのだ。





規則、というのは大きな枠組みでは憲法や法律、となるわけだが、どんどん小さくしていけば条例、就業規則利用規約、門限、と、我々は多くの「ルール」の下で生活している。それを無意識のうちに遵守し、平穏な生活が送れているのだ。



今回は、薬物乱用ではなく、規則、という点をフォーカスして話をしていきたいと思う。





さて、そもそも我々はなぜ規則を守るのだろう?少し考えてみてほしい。












たぶん、大半の人は「規則を破ると、罰が待っているから」と答えるだろう。



法律という規則を破れば懲役や罰金、就業規則を破れば減給や解雇、といった具合に、そういった罰を恐れるがゆえにルールを守るのだ、と。





性悪説」を説いた荀子*1は、「人間は生まれながらにして悪であるから、きまり(刑罰)によって矯正する必要がある」と、国の秩序を保とうとした。





端的に言うと、「人間は悪い生き物だから、ルールでガチガチに縛ってやろうぜ!」って話である。




まあ、あながち間違いじゃない。ルールがなかったら、おそらくやりたい放題だ。それは学校現場にいる自分がよく知っている。



例えば、「明日から校則を全部無くします!あなたたちの常識の範囲で行動してください!」なんて、絶対無理だ。てか、そもそもルールあっても平気で破るんだから、文字通りの「無法地帯」になることは目に見えている。例えば、授業中にケータイは触りまくり、机の上に鏡を置いてメークを始め、挙げ句学校の外に出て遊びに行くなんてこともあり得る。規則、そしてそれに伴うペナルティがあるからこそ、ある程度の秩序が保てているのだ。




しかし、規則を守る、という行為の本質は、自分を守るためではないだろうか



規則を破ることは、他人(世間)からの信頼を失うことと等しい。だから、自分が常に裏切られたり、仮想敵にされるリスクを負うことになってしまう。ルールを破ると罰があるから、という理屈は、自分の視点からしか物事を捉えられていない。客観的に自分を見つめたときに、規則を守ることが、生きていく上で最大のリスクヘッジ*2なのである。




今回の事件に限らず、多くの逮捕報道を時事ネタとして教師が扱うときは、「ルールは絶対に守らなくてはならない」というメッセージを伝えるべきだ。そして、規則を守ることは、自己防衛にも繋がる、と分かりやすく説き、普段から小さな約束事も守らせていく。




時に、意味のないと思われるような校則を守らせるのは、大人になって後悔しないための練習も兼ねているのだ。何事も本質を我々人間は見抜かなければならない。

*1:中国戦国時代末の思想家・儒学者

*2:危機回避